2019年02月04日

民法第一条 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律等に基づき健康管理手当の支給認定を受けた被爆者が外国へ出国したことに伴いその支給を打ち切られたため未支給の健康管理手当の支払を求める訴訟において支給義務者が地方自治法236条所定の消滅時効を主張することが信義則に反し許されないとされた事例

1 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 被上告人らは,いずれも,広島市に投下された原子爆弾に被爆した者であり,昭和30年ころから同40年にかけてブラジル連邦共和国(以下「ブラジル」という。)に移住した。
(2) 昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が,同43年に原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「原爆特別措置法」という。)がそれぞれ制定され,平成6年にこれらの法律を統合する形で原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」といい,原爆特別措置法と併せて「被爆者援護法等」という。)が制定された。健康管理手当は,原爆特別措置法5条又は被爆者援護法27条に基づき,造血機能障害,肝臓機能障害,循環器機能障害等の疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっている被爆者に支給される手当である。その支給に係る事務は,都道府県知事が国の機関として主務大臣(厚生大臣)の指揮監督の下に処理すべき事務とされていたが(地方自治法(平成11年法律第87号による改正前のもの)148条2項,150条,別表第3第1項(10の2),地方自治法(平成6年法律第117号による改正前のもの)別表第3第1項(10の3),国家行政組織法(平成11年法律第87号による改正前のもの)15条2項),その後,平成11年法律第87号による地方自治法の改正に伴い,第1号法定受託事務に改められた(同法2条9項1号,10項,別表第1)。
(3) 厚生省公衆衛生局長は,昭和49年7月22日付けで,各都道府県知事並びに広島市長及び長崎市長あての「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律等の施行について」と題する通達(昭和49年衛発第402号。以下「402号通達」という。)を発出し,原爆特別措置法に基づく健康管理手当の受給権は,当該被爆者が我が国の領域を越えて居住地を移した場合,失権の取扱いとなるものと定めた。被爆者援護法が制定された後も,厚生事務次官が平成7年5月15日付けで各都道府県知事並びに広島市長及び長崎市長あてに発出した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の施行について」と題する通知(平成7年発健医第158号)に基づき,402号通達による上記の取扱いが継続されてきた。しかし,被爆者援護法等には,健康管理手当の受給権を取得した被爆者が国外に居住地を移した場合に同受給権を失う旨の規定は存在せず,402号通達の上記定め及びこれに基づく行政実務は,被爆者援護法等の解釈を誤る違法なものであった。
(4) 被上告人らは,いずれも,平成3年から同7年にかけて,ブラジルから一時帰国し,被爆者援護法等に基づき,広島県知事から循環器機能障害等の疾病の認定を受け,被上告人X 及び同X については平成7年6月から同12年5月までの間,同X については同6年6月から同11年5月までの間をそれぞれ支給期間とする健康管理手当を支給する旨の健康管理手当証書の交付を受けた(以下,これらの健康管理手当を併せて「本件健康管理手当」という。)。
(5) 広島県知事は,被上告人らがその後間もなくブラジルに出国したことから,402号通達を根拠として,被上告人X については平成7年7月分以降,同X については同年8月分以降,同X については同6年7月分以降の本件健康管理手当の支給をそれぞれ打ち切った。
(6) その後,被上告人らは,平成14年7月から12月にかけて,本件健康管理手当の支払を求めて本件訴えを提起した。同15年3月1日,402号通達は廃止され,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令及び原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則にも,被爆者健康手帳の交付を受けた者であって国内に居住地及び現在地を有しないものも健康管理手当の支給を受けることができることを前提とする規定が設けられるに至った。上告人は,これらの改正に伴い,被上告人らに健康管理手当を支給したが,本件健康管理手当のうち,本件各提訴時点で既に各支給月の末日から5年を経過していた分については,地方自治法236条所定の時効により受給権が消滅したとして,その支給をしなかった。
2 本件は,被上告人らが上告人に対し,原爆特別措置法5条又は被爆者援護法27条に基づき,未支給の本件健康管理手当及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案である。
3(1) 被爆者援護法等に基づく健康管理手当は,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,原子爆弾の放射能の影響による造血機能障害等の障害に苦しみ続け,不安の中で生活している被爆者に対し,毎月定額の手当を支給することにより,その健康及び福祉に寄与することを目的とするものである(原爆特別措置法5条,被爆者援護法前文,27条参照)。前記事実関係等によれば,被上告人らは,その申請により本件健康管理手当の受給権を具体的な権利として取得したところ,上告人は,被上告人らがブラジルに出国したとの一事により,同受給権につき402号通達に基づく失権の取扱いをしたものであり,しかも,このような通達や取扱いには何ら法令上の根拠はなかったというのである。通達は,行政上の取扱いの統一性を確保するために,上級行政機関が下級行政機関に対して発する法解釈の基準であって,国民に対し直接の法的効力を有するものではないとはいえ,通達に定められた事項は法令上相応の根拠を有するものであるとの推測を国民に与えるものであるから,前記のような402号通達の明確な定めに基づき健康管理手当の受給権について失権の取扱いをされた者に,なおその行使を期待することは極めて困難であったといわざるを得ない。他方,国が具体的な権利として発生したこのような重要な権利について失権の取扱いをする通達を発出する以上,相当程度慎重な検討ないし配慮がされてしかるべきものである。しかも,402号通達の上記失権取扱いに関する定めは,我が国を出国した被爆者に対し,その出国時点から適用されるものであり,失権取扱い後の権利行使が通常困難となる者を対象とするものであったということができる。
以上のような事情の下においては,上告人が消滅時効を主張して未支給の本件健康管理手当の支給義務を免れようとすることは,違法な通達を定めて受給権者の権利行使を困難にしていた国から事務の委任を受け,又は事務を受託し,自らも上記通達に従い違法な事務処理をしていた普通地方公共団体ないしその機関自身が,受給権者によるその権利の不行使を理由として支払義務を免れようとするに等しいものといわざるを得ない。そうすると,上告人の消滅時効の主張は,402号通達が発出されているにもかかわらず,当該被爆者については同通達に基づく失権の取扱いに対し訴訟を提起するなどして自己の権利を行使することが合理的に期待できる事情があったなどの特段の事情のない限り,信義則に反し許されないものと解するのが相当である。本件において上記特段の事情を認めることはできないから,上告人は,消滅時効を主張して未支給の本件健康管理手当の支給義務を免れることはできないものと解される。
(2) 論旨は,地方自治法236条2項所定の普通地方公共団体に対する権利で金銭の給付を目的とするものは,同項後段の規定により,法律に特別の定めがある場合を除くほか,時効の援用を要することなく,時効期間の満了により当然に消滅するから,その消滅時効の主張が信義則に反し許されないと解する余地はないとい
うものである。
ところで,同規定が上記権利の時効消滅につき当該普通地方公共団体による援用を要しないこととしたのは,上記権利については,その性質上,法令に従い適正かつ画一的にこれを処理することが,当該普通地方公共団体の事務処理上の便宜及び住民の平等的取扱いの理念(同法10条2項参照)に資することから,時効援用の制度(民法145条)を適用する必要がないと判断されたことによるものと解される。このような趣旨にかんがみると,普通地方公共団体に対する債権に関する消滅時効の主張が信義則に反し許されないとされる場合は,極めて限定されるものというべきである。
しかしながら,地方公共団体は,法令に違反してその事務を処理してはならないものとされている(地方自治法2条16項)。この法令遵守義務は,地方公共団体の事務処理に当たっての最も基本的な原則ないし指針であり,普通地方公共団体の債務についても,その履行は,信義に従い,誠実に行う必要があることはいうまでもない。そうすると,本件のように,普通地方公共団体が,上記のような基本的な義務に反して,既に具体的な権利として発生している国民の重要な権利に関し,法令に違反してその行使を積極的に妨げるような一方的かつ統一的な取扱いをし,その行使を著しく困難にさせた結果,これを消滅時効にかからせたという極めて例外的な場合においては,上記のような便宜を与える基礎を欠くといわざるを得ず,また,当該普通地方公共団体による時効の主張を許さないこととしても,国民の平等的取扱いの理念に反するとは解されず,かつ,その事務処理に格別の支障を与えるとも考え難い。したがって,本件において,上告人が上記規定を根拠に消滅時効を主張することは許されないものというべきである。論旨の引用する判例(最高裁昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁)は,事案を異にし本件に適切でない。
4 原審の判断は,これと同旨をいうものとして是認することができる。論旨は採用することができない。(最判平成19年2月6日 民集 第61巻1号122頁)


概略

原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律又は原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき健康管理手当の支給認定を受けた被爆者が外国へ出国したことに伴いその支給を打ち切られたため未支給の健康管理手当の支払を求める訴訟において,支給義務者が地方自治法236条所定の消滅時効を主張することは,(1)上記被爆者がその申請に基づき上記健康管理手当の受給権を具体的な権利として取得したこと,(2)法令上の根拠がないのに,被爆者が国外に居住地を移した場合に健康管理手当の受給権につき失権の取扱いとなるものと定めた違法な通達に基づき,上記支給義務者が支給を打ち切ったこと,(3)上記通達の定めは我が国を出国した被爆者に出国の時点から適用されるものであり,失権取扱い後の権利行使が通常困難となる者を対象としていること,(4)上記被爆者については上記失権の取扱いに対し訴訟を提起するなどして自己の権利を行使することが合理的に期待できたなどの事情が見当たらないことなど判示の事情の下では,信義則に反し許されない。


※参考条文
民法
(基本原則)
第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。
posted by 判例ラノベ化プロジェクト at 07:43| 判例原文集 民法